
2023年、2024年フェブラリーステークス覇者2頭の激突は実に見ごたえがあった。終わってみれば行った切り。レモンポップが逃げ切り、2番手を追走したペプチドナイルが2着。単純極まりない結果だが、リアルタイムではずっと緊張の糸が張り詰めていた。
最内1番枠に入ったレモンポップが主導権を握り、ペースダウンを計(はか)ったが、それに反応したのが大外に入ったペプチドナイル=藤岡佑介騎手。スタート後400mで一瞬だけ交わしたが、すかさず坂井瑠星騎手がハナを譲らない構えを見せた。
あとは逃げるレモンポップ、追うペプチドナイル。3~4コーナー中間でペプチドナイルが半馬身差ほど外で馬体を併せたが、直線を向いてレモンポップが突き放して2馬身差。しかしペプチドナイルも最後の気力を振り絞り、少しずつ差を詰めたが、レモンポップが0秒1の差をつけてゴール。史上8頭目の南部杯2連覇を果たした。
坂井瑠星騎手「最内枠に入ったので逃げれれば逃げようと思っていたし、相手はペプチドナイル1頭だと思って先手を取った。去年と同じように4コーナーで引き離さそうと考えていたが、なかなか離せなくて苦しいレースになった。ゴール前はぎりぎりだったが、何とかしのいでくれた」
一方、2着に敗れたペプチドナイル。藤岡佑介騎手「真っ向勝負をして負けたのは悔しいが、いい競馬ができたと思う」とコメント。勝者の強さを讃えた。
その後、レモンポップはチャンピオンズカップ2連覇の偉業も達成して現役生活にピリオド。ダーレー・ジャパン スタリオンコンプレックスで種牡馬入り。種付け料500万円に設定したが、214頭もの花嫁が殺到。2028年には多くの二世に出会えるに違いない。

コースの見どころ

岩手競馬の先人たちには強いこだわりがあった。『競馬の原点はマイル』。ルーツは1933年(昭和8年)までさかのぼる。上田・盛岡競馬場(二代目)から緑が丘へ移転するに際し、一條友吉氏が三代目・盛岡競馬場の設計にかかわった。
盛岡中学校(現・盛岡一高)を卒業後、アメリカへわたって単身で競馬修行。帰国後、日本の競馬発展に生涯をささげた。盛岡競馬場の設計依頼を受け、範としたのが青春時代を過ごしたアメリカの競馬場。上田の競馬場は1周1000m右回りだったが、1周1600m(マイル)左回りに拡張変更した。
推測だが、向こう正面に上り坂があったのは地形だけではなく、坂路が馬の鍛錬に効果が大きいと理解していたから。アメリカだけではなく、ヨーロッパも視察した友吉氏ならではのアイディアだったに違いない。
1996年に創設した現在の盛岡競馬場=OROパークは一條友吉氏のマインドを継承。1周1600m左回り、4コーナーからゴールまで4・4mの上り坂。さらにアメリカの主要競馬場に倣い、内に1周1400mの芝コースを作った。
言うまでもなく、これは国際規格。実現には様々なハードルはあるだろうが、即GⅠ競走も可能なのが盛岡競馬場。
特にダート1600mは盛岡競馬場が世界に誇るコース形態。2コーナーから引き込み最奥がスタート地点。3コーナーに入るまでほぼ900mの直線からワンターンでホームストレッチに入り、約300mの上り坂を越えたところがゴール。
テーマは盛岡ダート1600mの攻略法だが、紛れはほとんどなし。真の最強マイラーのみが優勝できる。
強いてあげれば東京ダート1600mとの違い。スタートは芝を走り、ワンターンで直線は約500m。この長さがあれば差し、追い込みでも届くが、対して盛岡マイルは先行有利。3コーナーに入る時の位置取りが勝敗を分ける。まずは向こう正面の位置取り争いに注目してほしい。

